2010年10月02日

建った後に進化する。

K・HOUSE施主が筵からウッドデッキの制作にかかり完成したと写真と共にメ-ルが入りました。

K・HOUSE施主は最近技術のティチャ-になったのか?(笑)
了解もなしに記事にしてしまいましたが宜しかったでしょうかik_19

一寸した吾妻屋のようです。
ここで熱燗や美味しいコ-ヒ-など・・・イイデスね!
近くお伺いしコ-ヒ-を頂きたいと思います。
その節はよろしくお願いします。face02

『このような記事です』
筵に続く「自作ウッドデッキ」を更にバージョンアップしましたので、写真添付しておきます。
折角の「掘り炬燵」風デッキの隙間に出入りするために邪魔だった(酔っ払ったら間違いなくひっかっかて転倒する危険大の)天板梁を切断してしまい、新たに柱材の支柱を設けました。それにつけても殿堂工具の偉大さにはあらためて感動しました。直近に購入した電動チェーンソー(5980円)、電動丸鋸、12Vインパクトドライバー、電動グラインダーは「毎日が日曜日」DIYにはかかせません。更に電動工具ではないですが、5500mmメジャー・極安クランプ、そして写真左はしに写っている、これも極安の万能作業台(1脚何と980円できわめてスグレモノ!)2脚があれば、長尺物の切断・加工も何のその。因みに、この作業台はかみさんの裁縫での「ホックの目打ち」などにも活躍しています。


という事で
①掘り炬燵風(酔っ払ったら間違いなくひっかっかて転倒する危険大)のデッキ



















②(酔っ払ったら間違いなくひっかっかて転倒する危険大)から天板梁を切断したデッキik_20
これなら完全に足が引っ掛らないですね!


















以前、私のHPで建物が建った後のメンテナンスが肝心というペ-ジを紹介したのですが

例えばK・HOUSE施主のように日曜大工的なことをする事によりそれに付随する建物の思わぬ劣化・老朽化などを早期に発見したり建物の寿命を伸ばしたりすることが可能になることがあるのです。

皆さん建物は生きています。
たまには愛しく労わって上げて下さい。  

Posted by 建築家Y at 09:33Comments(0)居住環境

2010年09月12日

むしろ見学。

昨日K・HOUSE施主さまから電話を頂き一度見学をさせて頂くことになりました。

お邪魔させて頂くと建物を本当に旨く使って頂いているので安心しました。

そんで持ってベランダえ!

敷いていますよ!

旨く寧ろを敷いて断熱、反射、素足効果に有効の活用されていました。

本日見学させていただきありがとうございました。face02  

Posted by 建築家Y at 18:43Comments(2)居住環境

2010年09月09日

クライアントからの電話。Ⅱ

K・HOUSE施主さまから再度ご連絡がありました。

先日のクライアントからの電話!
重複する内容ですが詳しく附則します。

内容は下記の内容です!

むしろは効果は絶大です。
裸足で歩くと気持ちの良いことこの上なく、しかも保水力も2~3日あります。
費用のことを書き忘れたので追伸します。
筵は1000mm×1800mmが1枚198円、筵を飛ばないようにする庭石20cm角1枚98円
(いずるれもパワーセンター・コメリでの価格です)。
そんなこんなで、我が家では3,000円までで暑さ対策が完璧にできました。

しかし、恐るべしむしろ効果、自然はヤハリすごいです!face10(ここだけは私のコメントです!)  

Posted by 建築家Y at 17:24Comments(0)居住環境

2010年09月07日

クライアントからの電話。

以前設計したK・HOUSE施主さまから電話がありました。

次のような内容でした。

ベランダに施工しているFRP防水が2階の部屋に照り返して暑いので何とかしようと考えところ
フト!思いつきのままに試してみたところ、これが意外とヒットしました。

施工費もス-パ-ロ-コストいやハイパ-ロ-コスト(2000円)で済みました。
尚且つ一階の居間の断熱効果も促進されました。

ところで一体なんだと思いますか?
答え:コメリなんかで販売されている『むしろ』です。
むしろをFRPの表面に敷き詰めて上から水を打つだけで
照り返し、断熱効果、冷却効果、素足体験ぼ抜群です。

本当に良い知恵をお教え頂きありがとうございました。face02

皆様も一度お試しになられては?
ただし、むしろの切れ端などはドレインの詰まり等にご注意を!
たぶんこの程度では大丈夫だと思います。

『むしろ』の写真をUPします。
一般的な「むしろ」です。

用途もさまざまで、植木の植え替えやぬかるみに敷いたりします。

映画やお芝居にも使われます。
  

Posted by 建築家Y at 22:55Comments(0)居住環境

2010年03月29日

集合住宅

アパートメント (apartment) 北米で集合住宅を意味する最も普通の語。各世帯の区画を指し、建物全体を指すには「apartment building」などと言い、日本で一般に使われる「マンション」はこれに当たる。

アパート
「アパートメント」を略した日本独特の表現。規模の小さい賃貸物件に限って使う。木造の建物には○○荘の名称を用いていることもある。

フラット (flat)
平ら、つまり、各世帯が1つの階に限定されているもの。イギリスや英連邦諸国でアパートメントの代わりによく使われる語。各世帯の区画を指し、建物全体を指すには複数形にする。

マンション (mansion)
英語で「大邸宅」。英語では、固有名詞として「~ Mansions」と名乗る集合住宅はあるが、一般名詞として集合住宅を意味することはなく、マンション=鉄筋造集合住宅と理解されるのは日本独特の表現。

コンドミニアム (condominium)
「共同管理」を意味するラテン語から。分譲形式のもの。

メゾン (maison)
フランス語で「家」「建物」。集合住宅という意味は特にない。

メゾネット (mesonette) フランス語で「小さなmaison」。1戸の住宅を区切って賃貸する。通常、各戸が複数階にまたがる。


日本を代表する アパートメント (apartment)に 青山同潤会アパートがある。












現在は表参道ヒルズ一角に同潤会青山アパートが新しく建っている。  
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Posted by 建築家Y at 22:33Comments(0)居住環境

2010年03月13日

障子

障子は、平安時代から現在まで、和風住宅に欠かせない建具として使われています。
吸湿性や断熱性が高いだけでなく、日光を柔らかく拡散させることで、
自然な明るさを作りだして人に心地よさを与えてくれることは、
障子が好まれる大きな理由でしょう。

『柔らかな光を室内に』
障子は、木製の枠に薄い和紙を貼った、部屋同士や屋内と屋外を仕切る建具です。
襖と供に、平安時代から現在まで日本の住宅に使われています。

発明当時の平安時代にまだガラスは流通していませんから、
外部からの視線を遮ったまま採光ができる障子の発明はとても画期的なことでした。
それは障子紙(和紙)に、直射日光を遮りつつ光を拡散させる働きがあるからです。
この他にも、障子紙には吸湿性や換気能力があります。
これらの機能は、湿度が高い日本の気候に適していました。加えて断熱性も高く、
ガラス戸と併用することで冷暖房効果を高めてくれます。

この多機能・高機能な建具は、明治時代に洋風住宅の普及が始まっても建具として組み込まれ、
カーテンの普及を遅らせました。カーテンが主流となった現在でも、
縦横のグリッドでデザインされた障子は、他の家具との調和性の高さ、
自然素材の建具ということから、畳や襖とともに良さが見直されています。

『現在も残る障子』
障子は平安時代に襖から派生したものです。この頃は、部屋を仕切る襖、
つい立、屏風などを総称して障子と呼び、現在のような薄い和紙貼りのものを
「明かり障子」と呼んでいました。明かり障子の発明により、
戸を開けることなく採光できるようになります。当時は、蔀〔しとみ〕
(木製の引き戸)との組み合わせで使い、夜中や雨の日の場合は蔀を閉め、
日中は蔀だけを開けました。

室町時代になると、書院造りに使用される下部を板張りにした腰付障子が登場し、
桃山時代には、数寄屋造りに使われる腰の低い障子が登場します。そして、
江戸時代には、組子〔くみこ〕(縦横に組んだ細い部材)
に意匠を凝らした多種多様な障子が作られます。
このように、障子は日本の住宅にとって欠かせない建具として、
時代とともに様々な変化を遂げました。

明治時代に入り、洋風住宅の普及とともに、カーテンが普及しますが、
多機能な障子は、ガラス戸との併用で使用されています。

『張替えは水と糊で』
障子紙は、水を含ませた雑巾で糊の付いた部分を湿らしてからしばらく置くと、
破らなくても簡単に剥がせます。紙を貼る時は桟に糊を塗り、
伸ばしながら貼ります。乾いてもシワが残る場合は、霧吹きをかけると紙がピンと張ります。

『障子の形』
荒組障子:組子の間隔が大きく荒いもの。
横繁障子:横方向の組子が縦方向より多いもの。
竪繁障子:縦方向の組子が横方向より多いもの。
腰付障子:傷みやすい下部を、板や襖で貼ったもの。
雪見障子:下部にガラスをはめ、上下するように障子を入れたもの。  
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Posted by 建築家Y at 19:43Comments(0)居住環境

2010年03月01日

昨年の3階建て長期優良住宅!

昨年の3階建て長期優良住宅実験結果の記事!
人の噂も〇〇日で終わらないように!

『ケンプラッツの建築・住宅』
アクセスランキング(建築・住宅発)3位に浮上しました。
【長期優良木造3階建てが「想定通り」倒壊<訂正あり>】
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20091030/536517/

  
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Posted by 建築家Y at 19:57Comments(0)居住環境

2010年02月28日

お風呂

心身を清めたり、治療に用いたり、娯楽・社交の場として親しむなど、
昔から日本人は風呂を愛用してきました。戦後、住宅不足の中で重宝され、
街中に数多くあった銭湯も今では減りつつありますが、温泉人気は衰えを見せません。
また、最近では石風呂や五右衛門風呂などの風呂が人気を呼んでおり、
やはり日本人の風呂好きは変わらないようです。











『日本人はお風呂好き?』
風呂は日本人の日課であり、一日の疲れを癒すのに欠かせません。
海外ではシャワーのみで、浴槽内で体を洗う国が多いようですが、
日本人は湯につかるのが習慣です。そのため、
海外のホテルに日本人の団体旅行客が泊まりに来た際、
湯の供給が追いつかなくなったという話も聞くほどです。
反対に、日本を訪れた外国人が、一般家庭の風呂では家族皆同じ湯を使う習慣を知らず、
入浴後風呂の栓を抜いてしまうことも多いようです。
また風呂は娯楽でもあります。全国に数千余りある温泉やヒノキ風呂や打たせ湯、
石風呂など様々な種類の風呂を集めた施設は人気があります。
人々は風呂に浸かりながら親しい友人や家族と談笑し、時には酒を飲み、
良い気分になります。
人生の最初の沐浴〔もくよく〕は産湯であり、死後は湯灌〔ゆかん〕によって清められます。
この他、平安以降の公家などは、引越しや婚儀、
病気が回復したり新年を迎えた際などに決まって入浴しました。
宗教的、文化的通過儀礼としても湯を浴びることは、
日本人にとって重要視されてきたようです。
このように日本人は様々な面で風呂好きといえますが、
海外でも風呂好きな人々はいます。
ヨーロッパでは、紀元前数世紀のローマ帝国時代から共同浴場が存在しました。
当時は蒸気風呂で、体を洗うより医療目的で使用されていました。
トルコでは、「ハマーム」と呼ばれるサウナが古くからありました。
「体を清潔に保つことを務めとする」イスラム教の信仰と、
ローマ風呂の伝統が混ざり合って広まり、
17世紀中頃にはイスタンブール市内に約15000のハマームが存在しました。
人々は大掛かりな蒸気風呂で汗を流し、世話係にマッサージや体を洗ってもらいました。
更に演劇まで行われ、社交場として利用されたこのハマームは、
日本の江戸期の銭湯と共通するものがあります。



『江戸時代の銭湯は庶民の社交場』
日本の風呂で最も古いのは、瀬戸内海各地に点在していた石風呂(岩屋風呂)というもので、
自然の岩窟で蒸気浴をするものでした。
仏教伝来以後、東大寺などの寺院は浴堂や浴槽を持ち、
鉄製の大釜で湯を沸かした蒸し風呂が登場しました。
僧侶や庶民は心身清浄、時には医療目的で入浴しました。
その後この風呂の民間営業が始まり、熱した石に水をかけて蒸気を浴びる蒸し風呂が広まりました。
時が経つにつれ湯の量が増え、下半身は湯につかり、上半身は蒸気で蒸す方式に変わっていきました。
これは室町時代頃から江戸中期まで、僧侶や公家、武士たちに愛用されました。
また、浴衣を着た湯女〔ゆな〕という女性がいた風呂屋があり、
彼女たちは客の髪をといたり、体を洗ったりしました。江戸初期の習俗を描いた屏風には、
当時の蒸風呂の様子を散見することができます。
その後、扉の開け閉めによって蒸気が外に出て行ってしまうのを防ぐため、
「ざくろ口」といわれる出入り口のついた風呂が登場しました。
これは出入り口の戸の上半分を板で塞ぎ、客はその下の隙間からかがんで出入りするというものです。
ただ、小さな窓が1つ2つしかない室内にはかなりの蒸気がこもるので、
のぼせて卒倒する人が出ました。更に室内が暗く、混浴だったので、
女性にいたずらする男性が現れるなどの問題もあったようです。
こうした蒸し風呂の時代には人々は裸ではなく、
風呂用の褌〔ふんどし〕や腰巻などを着用していました。
江戸時代には度々混浴禁止令が出たこともあり、男女別の銭湯が登場し、
幕末には江戸内で600軒程に増えました。男性用銭湯は2階建てが多く、
人々はここで茶菓子類をほおばりながら将棋や碁などを楽しみ、
庶民の娯楽場、社交場として利用しました。
一方家庭用風呂は関東では「鉄砲風呂」、関西では「五右衛門風呂」が主流でした。
両者とも大きな桶の下部にかまどを据えつけたものでしたが、温め方に違いがあります。
鉄砲風呂は炎が通る鉄管によってお湯を沸かし、人がやけどしないよう板で仕切りました。
一方五右衛門風呂は底から熱する方式です。水面に板が浮いており、これを足で沈めて入浴します。




左の図は『守貞謾稿』中の江戸末期の湯屋の平面図です。この図では高座(当時は番台と言わなかった。)は女湯の板の間側にあります。これでは男湯の方が見えません。そこで衣類の盗難防止のために、男湯側に見張りを置いていました。同書には大阪の湯屋の平面図も載っていますが、寛政の改革後は男女別湯になったにもかかわらず、浴槽だけが男女別で、脱衣所、洗い場は男女の境がなく、ほとんど混浴同然だったそうです。

















『五右衛門風呂?』
底板を沈めて入る五右衛門風呂。大盗賊の石川五右衛門が、
彼の子供と共に京都で釜ゆでの刑に処せられたという説話にちなんで名付けられました。
十返舎一九〔じっぺんしゃ・いっく〕の「東海道中膝栗毛」の主人公、
弥次良兵衛〔やじろべえ〕と喜多八〔きたはち〕は底板を単なる「ふた」だと勘違いして取り出し、
風呂釜に下駄を履いて入浴するうち、お風呂を壊した話は有名です。
地方の昔ながらの住宅では、一昔前まで五右衛門風呂があったところもあるようです。
最近ではアウトドア五右衛門風呂なるものが登場し、その風情から人気が出てきているようです。
  
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Posted by 建築家Y at 15:00Comments(0)居住環境

2010年02月28日

長期優良住宅のその後?

昨年3階建ての長期優良住宅として実験し倒壊した件について
世間ではもう忘れ去られようとしているのか?
新聞の折込などでジワッ~ト長期優良住宅の良さ等を載せた事柄が出始めている。
昨年の実験結果は一体なんであったんだろう?

仮称(木を生かす・・・協議会)かなり息を潜めて人の噂も〇〇日・・・
ダンダン忘れ去られようとしている。

誰も悪くはないんだ実験結果の木造3階建ては倒れていないんだ~
もう~言わないでくれ・と・・・でも言うように!

やはり国が関わっている団体の勝利になてしまうのか?

日本人の特性である『皆さん見てみぬふり』でしょうか?face07

  
タグ :住環境

Posted by 建築家Y at 13:11Comments(0)居住環境

2010年01月31日

左官

今日は左官職人について書いてみます。
左官とは建築物の壁塗りを仕事とする職人の事です。
土やセメントなどの素材を塗ったり、砂壁や漆喰
仕上げなどの最終的な表面仕上げを仕事としています。
漆喰・・・消石灰にふのりや苦汁〔にがり〕などを加え、糸屑・粘土(ねんど)
などを配合して練ったもので日本独特の塗壁材料です。


【建物の内外装仕上げとして重要な職種】
左官が行う塗り工事を左官工事と言います。奈良時代の律令制度下において、
建築仕事を司る木工寮に属〔さかん〕という役職がありました。
この属の役人が宮中の修理に壁塗りをしていたことが現在の左官の語源だと言われています。
左官工事は、建物の仕上げとして重要な役割を果たしています。まず、
その建物の耐久性や居住快適性を高める役割です。
次に壁を美しく仕上げるという装飾的な役割です。
この二つの仕上げを怠ると、快適な居住空間は生まれません。
近年では壁にコンクリートのパネルが用いられるようになったことや
熟練した左官職人が減少していることなどによって
左官工事が減少する傾向にありますが、
伝統的な日本の建築物において左官は欠くことのできない仕事です。

【竪穴式住居にさかのぼる】
左官工事の起源は、人々が竪穴式住居で暮らしていた縄文時代にまでさかのぼります。
当時、壁の材料である土は最も手に入れやすい素材で、
その土を生のまま団子状に丸めて積み上げていき土塀を作ったのが左官工事の始まりです。
その後、飛鳥時代には石灰を使って壁を白く塗る仕上げ技術や細く割った木で
壁の芯を作る技術などが開発された事によって左官工事はますます発展しました。
安土・桃山時代になると茶室の建築に色土が用いられ、
土の色をコントロールするだけでなく、砂や繊維を混ぜることで様々な表現が可能になりました。
江戸時代には漆喰で壁全体を覆ってしまう漆喰仕上げが開発され、
建物の耐火性を飛躍的に向上させ、またデザイン的にも非常に美しいものになりました。
その後、商人の土蔵や町家へと普及していき、
漆喰彫刻というレリーフ状の装飾的施工も行われるようになりました。
この点で左官技術は芸術性においても大きな発展を遂げ、
文明開化後の洋風建築の装飾にも柔軟に対応しました。
そして現在でも左官技術は新しい素材、
新しい工法を取り入れながら建築の様々なシーンで活躍しています。

【土を使い分ける?職人】
左官工事の材料となる「土」は、産地や目的によってその性質や色などが千差万別です。
そこで、土の特徴を十分に生かして適材適所に使い分けるのが、
左官職人の腕の見せ所です。また土は自然素材のため、
いつも均一な品質のものが手に入るとは限りません。
同じ場所で採れた土でも時期によって色や成分が変わることもあり、
左官職人は均一な品質の土を調達する事も重要な仕事となってきます。
また土に関する豊富な知識も必要となってきます。
  
タグ :仕事

Posted by 建築家Y at 21:31Comments(0)居住環境

2010年01月17日

一里塚

四箇郷一里塚(昭和15年7月12日国指定史跡)は和歌山城京橋を起点として、ちょうど一里(約4km)の距離に設けられた道標です
私が小さいころは塚のほぼ中央に松が植えられていた記憶がありますがその面影がなくなっています。近年は新たに植え替えられたように思います。





一里塚(いちりづかとは、大きな道路の側に1里毎に旅行者の目印として設置した塚(土盛り)である。
たとえば左の写真(中山道の垂井一里塚)
何か古墳のようにも見受けられる。

日本で古くは平安時代末期に白河の関から陸奥湾までの道に里程標を立てたのが最初と言われている。
また江戸時代には都市整備が全国展開され国民の通行標識となった。
調べていくと当時とすれば合理的にいわゆる一里塚には榎などの木が植えられ、
木陰で旅人が休息を取れるような吾妻屋的にも利用されて入たようにも思える。  
タグ :住環境

Posted by 建築家Y at 20:50Comments(0)居住環境

2009年12月04日

解らない!

よく100、200年住宅などと絵空事のように雑誌やマスコミで語っているが!

(少し言葉がすぎるかも知れませんが、言わせて頂きます。)

木造住宅ですか?

なにが根拠(科学?)で語っているのか?

私には理解できない現状である!

伝統木造建築は1000数百年の歴史があるそれと同評価するには余りにもお粗末ではなかろうか?

ついつい考えてしまうのが『科学は技術を後退させる』

先日も話を聴いたのだが湯浅町の伝統建築物の改修工事での話で
大工さんが現在この金物を使うことが一番良い、床にはプラ束を使うのが一番良いとの話をお施主様にしているとお聞きし、これぞ『科学は技術を後退させる』と実感さされた。
現在住宅の金物使用の住宅なら通用すとお話かもしれないが?
伝統工法(伝統工芸の町)の建物に合わない言葉である!
現場を担当した大工さんにもっと伝統技術を勉強してもらいたい物である。

元来人間が持ち備わっている感覚(五感)
春夏秋冬、気候風土における五感により構築された技術こそ日本伝統工法と言えよう

私は、現在建築における木造建築技術を否定しないが、見直すべきは甘んじて見直し後生に残る伝統工法を堅持すべきだと思う。
その工法でするとお金がかかるとか?それは言い訳にしか過ぎないと思うし『正しく技術の後退が』そのように言わせている現状があるように・・・

現在の木造建築を官製ビジネスに利用しないように希望する!

『西院回廊と大講堂』  
タグ :住環境

Posted by 建築家Y at 19:55Comments(0)居住環境

2009年11月30日

朝日新聞『伝統木造構法  匠の知恵生かす設計法作れ』

朝日新聞 2009年11月29日(日) 記者の視点 朝日新聞論説委員 野呂 雅之
『伝統木造構法  匠の知恵生かす設計法作れ』
と下記ブログに掲載されていました。
ここでしか読めません。
http://kido-azusa.blog.so-net.ne.jp/2009-11-29

ご興味のある方は是非ご一読下さい。
  
タグ :住環境

Posted by 建築家Y at 19:48Comments(0)居住環境

2009年11月18日

納戸

遡ること平安時代の建築様式である寝殿造では、出入りする以外の開口部がほとんど無い、
四方を壁に囲まれた塗籠(ぬりごめ)と呼ばれる閉鎖的な空間が設けられていたことが、
14世紀ごろの下記のような絵巻物「慕帰絵(ぼきえ)」に描かれている。
この塗籠は寝室としても用いられていたが、高価な宝物を収納していたことから、納殿(おさめどの)とも呼ばれるようになった。

『慕帰絵』重要文化財





















現在でも地方の農家などでも、寝室の事を納戸と言うこともある。※私の住んでいる和歌山でも寝室の事を『納戸』といっている事を確認している。

現在住宅における納戸の性質として普段使用しない衣類・家具・調度品などを収納するための空間を示す。
建築基準法で「居室」の基準に適合しないものを言う。

『慕帰絵』


  
タグ :住環境

Posted by 建築家Y at 21:08Comments(0)居住環境

2009年11月16日

変化

昨日ブログの表紙を変えてみました。
しかし、初めて私のブログを見る方は何のことか?
わかりませんよね!face10
そうなんです例えば何時も住まわれている住宅などのインテリアを少し変えてみると心理的、生理的にも少し変化があり心の中がリラックス出来たりするものです。

私は何時も心、環境の変化を求めたりしています
たとえ一過性の変化であっても見る人に不安感、違和感を与えない程度に環境を変えることにより自己または周囲の新たな発想やイメ-ジが湧いてくるのではと感じています。


ゆかい!
写真一枚で変わりますよね。
『はりせんぼん』面白いですよね!
  
タグ :住環境

Posted by 建築家Y at 10:00Comments(2)居住環境

2009年11月04日

長期優良木造3階建てが「想定通り」倒壊にコメント






ぞくぞくとコメントが!
ご興味のある方は一度クリックしてご一読ください。ik_08
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20091030/536517/

これから住宅を建てられる方は参考にして下さい!

私のコメントは下記の2件です。
私の場合専門用語が少ないので解り易いと思います。

①先日の夕方のTVニュ-スで『木造長期優良住宅』

近年の優良住宅ブ-ムが崩壊する

私は以前から優良住宅に対しての過剰なまでの金物使用の現実を

如何なものか?

木造に金物を使う工法こそが日本建築の崩壊につながると思っている建築家の一人である。

先日のTVニュ-スに於ける実験で手前にある耐震性能が低い

『金物使用が低い』建物が崩壊すると思い実験に望んだのだが?

如何せん耐震性能が1.8倍の長期優良住宅が残る想定が崩壊した!

これに対して言い訳する研究所?

日本建築の材料に認識が全くなく計算のみで物事を量ろうとする学者先生!

『木(ピン接合)と金物(剛接合)は元来相性(木は極度の剛性に非常に弱い)が悪いことを認識して欲しい』もっと現場を知ってください!

※古来、日本建築は地震で崩壊した建物が少なく!

ほとんどが地震による火災で家屋を焼失している現実を認識すべきである。


『先日のコメントの後に次のコメントを日経ア-キテクチュア-に・・・』


②何も騒ぎ立てているわけでもなく元来木造の性質を理解せず

金物住宅100年住宅、200年住宅などと騒ぎたてクライアントに住宅の安売りを

強要するが如く長期優良住宅などと位置づけする事が

『つまらん!』

素人さんに解り易く簡単に表現するならば人間の関節に鉄板をあて

ボルトで締め固めて曲げ伸ばしして下さい?出来ますかね?

表現的には如何かなと思うが極度の外力をかかると

当然関節及びその周辺が破壊されてしまいますよね!

関節の役割を果たすのが木造建築でいうところの『ほぞ』仕口なのです。

何故金物止めなのでしょうか?

いわゆる、官製ビジネスビジネスそのものなのですよね。

この実験検証が、現実なのです!
  
タグ :ニュ-ス

Posted by 建築家Y at 21:36Comments(2)居住環境

2009年11月02日

長期優良住宅 崩壊

先日ブログに掲載した記事が日経ア-キテクチュアに!
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20091030/536517/

写真があるのですが、映像が×になっている???


試験体1(左)は、倒壊した。試験体2(右)は、倒壊を免れた
  
タグ :ニュ-ス

Posted by 建築家Y at 11:27Comments(0)居住環境

2009年10月28日

長期優良住宅、自信過剰?

本日の夕方のニュ-スで『木造長期優良住宅』

近年の優良住宅ブ-ムが崩壊する

私は以前から優良住宅に対しての過剰なまでの金物使用の現実を

如何なものか?

木造に金物を使う工法こそが日本建築の崩壊につながると思っている建築家の一人である。

本日のニュ-スに於ける実験で手前にある耐震性能が低い

『金物使用が低い』建物が崩壊すると思い実験に望んだのだが?

如何せん耐震性能が1.8倍の長期優良住宅が残る想定が崩壊した!

これに対して言い訳する研究所?

日本建築の材料に認識が全くなく計算のみで物事を量ろうとする学者先生!

『木(ピン接合)と金物(剛接合)は元来相性(木は極度の剛性に非常に弱い)が悪いことを認識して欲しい』もっと現場を知ってください!

※古来、日本建築は地震で崩壊した建物が少なく!

ほとんどが地震による火災で家屋を焼失している現実を認識すべきである。


解らないことは私達、専門家にお尋ね下さい
http://www.geocities.jp/simazu_777/  
タグ :ニュ-ス

Posted by 建築家Y at 19:08Comments(2)居住環境

2009年08月23日

宮大工

宮大工とは、お寺や神社、みこしなど、日本古来の木造建築を手がける大工の事です。
材料は大きく高価な木材が多く、新築工事だけではなく貴重な文化財の解体修理も受け持つ、
責任の重い仕事です。





『文化財保存のために活躍』
宮大工は国宝や重要文化財になっている古い建物の修理や、
寺社の建設を手掛ける専門的な技術をもった大工のことです。
伝統的な建築物の屋根や柱、梁〔はり〕などは複雑な形や曲線が多く、高度な技術が必要です。
その技術は文化財保存のために必要な技術として国から「選定保存技術」に指定されています。
宮大工のほとんどは「渡り大工」と言われ、ひとつの地域に留まって大工仕事をするのではなく、
各地の文化財を渡り歩いて修理をします。かつて宮大工は全国に数100人いましたが、
現在では高齢化も進み、50人前後に減少してしまいました。
その対策として「伝統建築」を学校教育に取り入れるなど、後継者の育成を試みていますが、
厳しい修行の中で技術を伝承しようという若者が少ない事が現状です。

『宮大工のル-ツは僧侶』
日本の宮大工の歴史は飛鳥時代に朝鮮から来た慧滋〔えじ〕と
慧聡〔えそう〕という僧侶が飛鳥寺を建てた事に始まります。
これと同時期に聖徳太子も朝鮮から来たこの二人の僧侶から教えを受け、
法隆寺などに代表する歴史的建造物を建立したと言われています。
今でも宮大工の間では聖徳太子は神様として拝まれています。
このように昔は僧侶が自身の寺社の建築や修理にたずさわり、
宮大工の仕事をしているケースが多かったようです。

『日本の気候風土に知恵が!』
伝統的な日本の建造物は、昔から日本の気候風土に合った手法で建てられています。
日本は世界的に見ても地震大国です。したがって日本の建造物.には地震の揺れに耐え得る工夫が施されています。
昔の宮大工は、釘をほとんど使わずに建物を建てていました。
これは木に釘を打ち付けるよりも木を組み合わせた方が、
地震などの自然災害に耐え得る耐震性をもっていたからです。
また、「礎石〔そせき〕」という石を建造物の土台にしてその上に柱を立てていましたす。
こうすることによって地震の揺れに対する反発を抑え建物の崩壊を防ぐ事ができます。
現在で言うと「免震や静震」この時代から考えられていたのですね!
すごい技術です!!!
また地面から木材に湿気が吸い上がるのを防ぎ、木材を腐りにくくする工夫でもあります。
この他にも屋根や軒の曲線の美しさをもつ伝統的な建造物は、
宮大工の多くの知恵によって建てられています。
先人の知恵と工夫で発展してきた木造建築の技術は、現在よりも昔の方がずっと優れていました!
その通りだと思います。
現在では道具の進歩などで昔に比べると作業効率がよくなりましたが、
昔のように知恵を使う機会が少なくなってしまいました。
この事が現在の宮大工の技術の退化の原因であると考えられています。  
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Posted by 建築家Y at 09:48Comments(0)居住環境

2009年07月28日

かわら

瓦は、仏教とともに伝来し、現在も和風・洋風住宅を問わず使用されています。
もとは寺社仏閣で使用されていましたが、
戦後、洋風住宅の普及とともに一般住宅へ広がりました。



『瓦のなすべき事』
瓦屋根は、茅葺〔かやぶき〕や板葺の屋根に比べ、
雨を防ぐことに長けています。また防火・耐熱の効果もあります。
瓦を使用する文化は、日本だけではありませんが、
日本は台風が多いので、風で飛ばないよう中国やその他の国よりも重い瓦が使用されているようです。

現在では、洋風住宅の屋根においては桟瓦〔さんがわら〕葺きが主流ですが、
伝統的な和風住宅には本瓦葺きを使います。
本瓦葺きの屋根は、重量感があり非常に見栄えがよく、格段に存在感があります。
江戸時代の商人たちは、住宅に寺社仏閣に使われているような立派な瓦を使って財力を誇示しました。

『瓦の耐久年数』
東大寺法華堂では、1200年前に製造された瓦が今なお使用されています。
すごい耐久性ですね!

『日本家屋の屋根』
瓦は仏教の伝来とともに、百済〔くだら〕(4世紀半ばから7世紀半ばまであった朝鮮半島の国)から伝来しました。
江戸時代中期までは主に寺社・仏閣で使用されていましたが、
江戸時代の城下町で、防火の目的で現在も使用される安価な桟瓦が使用されるようになりました。
大正時代の初めには、簡単な機械が使用されるようになりましたが、
本格的な機械による工業生産となったのは、昭和40年代です。

明治以降、後に人々に普及する洋風建築が日本に入ってきたときに、
和風の瓦は洋風住宅の屋根に葺かれ全国に広がりました。


【我々建築家は日本古来の自然素材を継承し共生にしていかなければならない!】   
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Posted by 建築家Y at 11:04Comments(0)居住環境